<はじめに>
私もがん家族経験者です
2016年のある日、電話で「体調がおかしい」と言う母。その日から私はがん家族になりました。
看病は島根の実家に住む姉が中心でしたが、それまで年に2~3回しか帰省しなかった私も隔週で帰るようになりました。
「あんた、仕事だいじょうぶかいね。そんなに帰らんでいいよ」と言う母に、(症状が重いことを感づかれてしまう)と葛藤したものの、「バスの回数券は期限があるけんね」などとごまかしながら、母と過ごす時間を1分でも増やそうと躍起になっていました。
次第に弱っていく母を見るのはつらかったですが、看病を通して楽しい思い出をつくれたのも事実です。母の具合がよいときは、出張先のおみやげを一緒に食べ、おしゃべりしました。ある日、寝ているはずの母のふとんがもぬけの殻なのを見て、私と姉は大あわて。すぐに庭で草取りをしている母を見つけて笑ってしまったこともあります。1年5か月後に母は旅立ち、
その7か月後には父が末期のがんであることが判明。3か月経たずして他界しました。
ライターとしてがん家族を支える一助に
母ががんで闘病中、ライター仲間を通じて酒井たえこさんと出会いました。世の中に、がん家族を支える活動をしている人が存在するんだ――それだけで涙が出ました。
両親を見送って2年が過ぎ、日常を取り戻しつつあるときに「桜の舟」プロジェクトを知りました。映画の制作に関わる方や、がん家族の方にインタビューすることで、がん家族を支える活動に参加できることをうれしく思います。
「元がん家族として、がん家族の話を聞くのはいろいろ思い出してつらいだろうか」という不安はありません。私と同じような経験をしたがん家族さん、いま、看病に携わっているがん家族さんの話を聞き、文字にすることで、記事をご覧になる方々と想いを分かち合えたら幸いです。
私は、がん家族の“クッション”のような存在でありたい。がん家族が抱えるあらゆる気持ちをクッションのように受け止め、和らげるお手伝いをしたいです。
<職業と氏名>
コピーライター/プランナー 仲山さとこ
https://nakayama-satoko.com/