元がん家族の声

コピーライター仲山さとこのインタビュー記事集②-1

「がん家族は第二の患者」

―共に過ごした最後の2ヶ月半

毒親だった母を看取るまで―

<今回の元がん家族インタビュープロフィール>

タチバナさん(漫画家)

「幼い頃、母には育児放棄のような育て方をされました」と話すタチバナさんが、看病と看取りをした経緯とは? すい臓がんでこの世を去った母の最後の2か月半を振り返っていただきました。

 


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歳の母が末期のすい臓がんに


――ご家族構成を教えてください。

タチバナ:夫と猫2匹と暮らしています。娘は独立して近隣の県に住んでいます。私の自宅から実家までは車で10分ほどです。

――漫画家のスキルを活かし、医療系の仕事もされているそうですね。

タチバナ:週に1回、訪問診療をしている地元の病院で、非常勤の地域支援員として勤務しています。訪問先の患者さんの話を聞いてマンガにすることもあるんですよ。


――お母さんの病気に気付いたのは何がきっかけだったのでしょうか。

タチバナ:20185月に、デイサービスのヘルパーさんが母の黄疸に気付いてくださったんです。検査をしたところ末期のすい臓がんで、転移も見られることがわかりました。私は医療のマンガを描いた経験があり、医療従事者の知り合いも多いので、多少の知識を持ち合わせていました。母は糖尿病による入院歴があり、すい臓がんになりやすいこと、がんになった場合どういう流れをとったらいいか、ある程度はわかっていたつもりでした。

 

 

 

 

――告知はされましたか。

タチバナ:娘としては告知をしてもらってもいいと思ったのですが、病院は「糖尿病の具合が良くないから、胆汁を流す処置をして自宅で療養しましょう」という言い方をされました。軽い認知症も出ていたので説明を理解してもらえるだろうかという背景もあったのだと思います。


 

――自宅療養を選ばれたのですね。

タチバナ:自宅療養は母の意向です。83歳という年齢のこともあり、手術はせず、緩和処置をする方向で、訪問診療を紹介してもらうなどの準備を始めました。

――お母さんのご希望通り、自宅で最期を迎えられたのですか。

タチバナ:母は兄と2人暮らしでしたが、兄には発達障がいがあり、11回のインスリン注射を誤って2回してしまって低血糖になったこともありました。はじめの2か月は自宅で過ごし、最後の半月はたまたま空きが出た有料老人ホームで最期を看取りました。

 

 

毒母の世話は書類手続きだけで十分?



――生活に影響はありましたか。

タチバナ:日常の生活、仕事に加えて、本来はやらなくてよかった「看病」が新たにプラスされるのですから、負担もプレッシャーも大きかったです。私の母の闘病期間は2か月半でしたが、年単位で看病されているご家族の苦労はいかばかりかと思います。

――仕事と看病の両立についてはどうでしたか。

タチバナ:職業柄、時間の融通が比較的つけやすい反面、筆が乗っているときにも手を止めて看病モードに切り替えなくてはなりませんでした。仕事の内容や勤務状況によって苦労もそれぞれだと思います。

 

 

――ご家族からのサポートはいかがでしたか。

タチバナ:母が孫を認識できる時期に、娘が何度か見舞いに行ってくれたのは良かったなと思っています。夫は、母の病気が進行の早いすい臓がんであり、腹水がたまっていることからも先が長くないと理解しており、「家でやれることはやるからね」と言ってくれました。家事も大いに助かりましたが、愚痴を聞いてもらうなど精神的に支えてくれる人がそばにいるのはありがたいなと思いました。

 

 

――お母さんとの親子関係について伺ってよろしいでしょうか。

タチバナ:幼少時、母には育児放棄のような育て方をされました。いわゆる毒母ですね。がんが発覚した段階では、書類手続きなどの必要最低限のことしかしないつもりでした。兄と母は共依存のような状態で、メンタルがガタガタだった兄は、自分の意志で母の最期にも立ち会いませんでした。

――お母さんが亡くなった後、お兄さんとは?

タチバナ:気まずい状態が続いていましたが、2年以上経ってようやく連絡を取るようになり、納骨の段取りがついたところです。母もあの世でホッとしているのではないかと思います。

 

 

 

 

 

母を看取る決意をしたきっかけ

 

 

――書類手続きだけではなく、お母さんの看病を最後までやり遂げたのはなぜですか。

タチバナ:あるとき、「今日はもう帰るね」と言った私に向かって、母が「いろいろ悪いね」と言ったんです。めったに謝ることのない母がですよ!

――どう答えたんですか。

タチバナ:私としては「お母さんは娘の面倒を見てくれたからね」という程度の気持ちでした。というのは、娘が保育園児だった頃、ちょっと熱が出て保育園に行けないときや、私が仕事で忙しいときなど、母に預けていたんです。私の母親としては問題アリでしたが、娘には良いおばあちゃんでした。私がしてほしかったのにしてくれなかったこと、例えば娘を公園に連れて行ったりしてくれました。

 

 

――それからどうなったのですか。

タチバナ:私は「お母さん、娘の面倒を見てくれたからね」と普通に答え、その続きは心の中で(お母さん、病気なんだもん。仕方ないから看病するよ)とつぶやいていました。ところが、続きのセリフが心に浮かぶかどうかというときに母が言ったのです。「だってそんなの、あたりまえじゃない」と。

――それを聞いて、どんな気持ちでしたか。

タチバナ:目から涙が飛び出るくらい泣きました。母は、あたりまえのように孫の面倒を見てくれた。何気ない会話で気持ちを伝え合えた。過去の恨みとまではいわないけれど、母との間にあったわだかまりが一気に溶けてなくなったんです。「よし、最期までちゃんと見てあげよう」と決めました。

 

 



「くるリーナ」ブラシで褒められた!

 

 

――看病中のエピソードを教えてください。

タチバナ:母の認知症は軽度なもので、薬を飲むほどではありませんでした。ただ、「まだらぼけ」がときどき出るようで、朝6時に電話をしてきて「今日、デイサービスの日だったのに、行かなかった」と言うんです。夕方の6時と勘違いしていたんですね。今となっては笑い話です。

――口腔ケアをがんばったそうですね。

タチバナ:母はかなり前から総入れ歯で、歯磨きをする習慣がありませんでした。でも、歯がなくても口腔ケアは大事ですから、毎日、清拭、口腔ケア、インスリン注射をしに通いました。

 

 

――歯磨きを嫌がったりされませんでしたか。

タチバナ:母に「口を開けて」と言うと、決まって「いいよ、いいよ、やらなくて」と言うんです。そこで、開口障害のための口腔ケア歯ブラシ「くるリーナ」というアイテムを使いました。これは、茅ヶ崎の女性歯科医が開発したもので、開発ストーリーのマンガは私が描いたんですよ。

 

 

――「くるリーナ」が役立ったのですね。

タチバナ:「歯磨きはボケ防止になるよ」と言うと、認知症を恐れていた母は素直になりました。さらに、「このブラシを作った人のこと、マンガに描いたんだよ」と続けると、すぐに口をあけてくれるんです。そして、マンガを描いたことを「すごいね、えらいね」と褒めてくれました。認知症だから前の会話を忘れて、くるリーナの話をするたびに褒めてくれるのがうれしくて。小さい頃も、こんなふうに褒められて育ちたかったな(笑)。

▲タチバナさんが当時のことを再現したマンガのネーム

このインタビューは続きます。

次回は『「ありがとう」の言葉が自然に』です。

 

<この記事を書いた人>

コピーライター/プランナー 仲山さとこ

https://nakayama-satoko.com/